sayuのゲーム日和

ゲームのストーリー考察を中心に

Returnal ストーリー考察

※Returnal(本編の真END+シシュポスの巨塔)のネタバレを多大に含んでいます。ご注意ください。

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まえがき

 その難解なストーリーから様々な考察が出ている本作ですが、私の中で良い感じにまとまったので記事にしたいと思います。

 多くの考察が世間に出ているので、ここではあまり見かけない次の部分に着目していきたいと思います。

 

  • 真ENDで母テイアの腹が膨れていた原因は飢餓状態による腹水
  • テイアとセレーネの関係は、どうしてここまでこじれてしまったのか?
  • セレーネの子ヘリオス堕胎しており生まれていないが、さも生まれてきたような描写があったのは、プレイヤーがクリアまでのモチベーションを保つために必要だったから
  • 現実世界のセレーネは、いまどこで何をしているのか?
  • この物語で結局、セレーネは救われたのか?

 

「シシュポスの巨塔」は追加コンテンツのため、ストーリーを詳しく知らないんだ、という方はこちらの方が動画を載せてくださっていますので、よければそちらをご覧ください。

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本作のメインテーマ

 まず明言しておきたいのは、この物語の本質は

「娘セレーネが母テイアの呪縛から解放されていることに気付く物語」

 だということ。

 

 これはまさにシシュポスの巨塔ENDのラストそのままですね。

 セレーネは母を殺して家に火を放ち、母から解放されていたのですが、まだその実感を得ていなかった。それが何度も何度もアトロポスという精神世界をループすることで、最終的に「自分はもう母から逃げ切ったのだ」と安堵する。それが物語の肝となっています。

 

 何かさらっと書きましたが、セレーネは母を殺しています。真ENDのシーンを鵜呑みにするなら、恨みつらみ事を言いながら詰め寄ってきた母を衝動的に突き飛ばし、頭を強く打ってしまい、という感じでしょうか。

 シップログにあったようにセレーネは重度の精神障害があったにもかかわらず薬を拒絶しており、その影響もあったのかもしれません。

 

 

 転落事故で半身不随となった母は地下室で暮らしていたのですが、家の探索時にもあったように、セレーネは近寄りたくないと強く思っていました。鍵をかけている描写もあったので、おそらく軟禁状態。

 そんな母へ食事も十分に与えていなかったのでしょう。

 このことを示唆したのは、家の探索時に、シリアルを食べようとして中身が空っぽだったシーンがありました。これはテイアがセレーネに対して、ネグレクトか罰としてか、食事を与えなかったことを示唆するようなシーンでしたが、それと同じことをテイアに仕返したのだと思われます。

 

 そういえば留守番電話で「ヘリオスへ。ご飯は冷蔵庫にちゃんと用意してあるからね」という感じの録音があったと思いますが、それも「もし自分が母親になっていたら、しっかりとご飯は用意してあげていた。テイアと自分は違うんだ」というセレーネの願望・母への反発が表面化した結果だと思います。

 

 話を戻して。真ENDでテイアのお腹が膨れていましたが、これは妊娠しているのではなく、極度の栄養失調からくる「腹水」の影響と考えています。

 

 そんなテイアをセレーネは真END中に突き飛ばしましたが、テイアの死因はこれだと思われます。

「シシュポスの巨塔」の病院ストーリーで、テイアの死因に「外傷性脳症」とありました。

 

 火事から逃げ出そうとしたときに頭を打った、という可能性もなくはないでしょうが、わざわざ「外傷性脳症」を死因として唯一明示している以上、ただの偶発的な事故の結果、という線は薄いかと思われます。

 また死因は「複合効果」とあります。ほかの2つの死因は伏せられていますが、おそらく「極度の栄養失調による衰弱 (遺骨を調べれば分かる)「火事による窒息」だと推測されます。

 

そもそも火事って何?

 火事について。これはセレーネが本編でも太陽のオーナメントを集める際に、「すべて燃やし尽くさなきゃ」みたいな物騒なことを言っていましたね。まさに有言実行

 またフラッシュバックする回想シーンでも、燃えた家の映像が映り込んでいます。さらにアーティファクトで登場する思い出の品も、燃えていたり焦げていたり溶けていたり、火事があったことを物語る品ばかり出てきます。

 

 そしてシシュポスの巨塔で確定します。閲覧できる事案報告書で「火事があった家の前で、セレーネが錯乱していた」と報告されています。このとき中にまだ人がいるのか、セレーネは答えないようにしています。

 

 おそらく流れとしては、セレーネは突き飛ばしたことで母を殺してしまい、その後に家まで燃やしました。苦しい思い出に満ちた家ごと――すべてを燃やし尽くしてしまうことで、完全に母の呪縛から逃れようとしたのかもしれません。

 

テイアとセレーネの関係がこじれたわけ

 完璧で超絶優秀だったテイアに比べ、セレーネはどうしても劣ってしまう存在でした。

 そんなセレーネにテイアが強く当たっていたことは本編中でもさんざん描かれていますが、それにしても「テイアは厳しすぎて酷くない?」と感じる方も少なくないでしょう。

 けれどこの仕打ちに、あの「湖への転落事故」が強く絡んでいたとしたら? どうなるでしょうか。

 続けてこの事故について考察していきます。

 

転落事故の真相

 このあたり非常に多くの考察が出ていますが、私としてはニュースをそのまま真実と受け取り、「テイアの運転で事故が起き、幼少のセレーネも乗っていた」として考えていきます。ムービーシーンの情景ですね。起きた事故はこの1度きり。

「じゃあ真ENDの最後で、水の中から出ようとしたセレーネが『ヘリオス』と言っているのはなぜ?」という話になってきますが、これはあとで詳しく見ていこうと思うので、いったん置いておきます。

 

 さて、この事故ですが、「橋に立っていた宇宙飛行士を跳ね飛ばして、その際に転落した」というシーンがありましたが、これはどういう意味でしょうか?

 

 まず事故の直前として、セレーネが「白い影」が云々と急に言い出します。そしてそれを聞いたテイアはうんざりしたようにバックミラーを動かし、セレーネを見えないようにします。

 この部分の考察ですが、本編中にセレーネが「母に構ってほしかった」という趣旨の発言をしていることから、おそらく子供時代のセレーネは、手厳しく突き放したような態度で接してくる母に対し、妄言を口にするなどして、構ってアピールをすることが少なくなかったのではないでしょうか? そのことに母はうんざりしていた、という構図なのではないかと。

 

 そしてその後なのですが、いらだっている母は暗い夜の中、バックミラーを触ったりラジオをいじったりと、明らかに運転に集中できていません。そして橋に差し掛かったとき、セレーネが急にこう叫んだとしたら、どうなるでしょうか?

 

「危ない!」「ぶつかる!」

 

 そんな感じのことをセレーネは口走ってしまい、前をよく見ていなかった母がとっさにハンドルを切ってしまったとしたら?

 このあたりは、こちらの方も似たような考察をされていますね。

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 なおシシュポスの巨塔での追加情報として、事故の報告書において「高速で衝突」したと明記されていました。

 このことを加味すると、おそらくセレーネは妄言を吐いたのではなく、橋の上に鹿や猪などの動物がいることに気付き、慌てて叫んだ、と考えるのが自然かもしれません。

 

 ただ本来なら跳ね飛ばすだけで終わっていたはずの出来事が、セレーネが叫んだせいでテイアはとっさにハンドルを切ってしまい、転落へと繋がってしまったのなら……?

 自分の言動をセレーネはとても悔いたのかもしれません。

 そのことを意味するのが、あの「橋に立っていた宇宙飛行士」なのではないでしょうか。

 本編で宇宙飛行士はセレーネ自身だった、というシーンがありましたが、あれは事故に対する自責の念がセレーネにはあったのではないかと思います。

 

 

 そしていよいよ肝心の、湖に落ちてからの話です。結果としてテイアは半身不随、セレーネは奇跡的に無事に生還したのですが、その際に起きた「認識の違い」が、その後の二人の関係性に大きく影響を与えたのではないでしょうか。

転落後に何があったのか?

 結果から推測すると、可能性は2つあります。

  1. テイアがセレーネを助け出した
  2. セレーネは自力で脱出した

 と、もったいぶって言いましたが、これについてはシシュポスの巨塔の病院で答えが明示されています。


 はい、テイアがセレーネを助け出しました。

 え、でも「試みた」だけじゃん? という線もありますが、じつは病院のほかの読み物で「テイアは水泳が抜群にうまく、オリンピック選手にもなれそうなほどだった」とわざわざ言及がありました。そのため、テイアが助け出したと思って間違いないでしょう。

 

 そうなると、テイアの気持ちも見えてきます。

自分の輝かしいキャリアを投げ売ってまで、命がけで半身不随になりながらも娘を助け出した。それなのに、そんな娘が自分の期待にまったく応えてくれない――

 そんなもどかしさを強く感じていたのかもしれません。もちろん一方的な思いですが、それだけの「恩」を娘は持つべきだ、という意識はあったのでしょう。

 ただここで致命的な問題となったのは、セレーネが助け出された事実に気づいていない、あるいは認めていないという点です。

 

 セレーネは「奇跡的に助かった」と聞かされたのでしょうが、問題は事故のことをよく覚えていない点です。母は自分が助けたと言ったのでしょうが、はたして普段から自分に強く当たっていた母が本当にそんなことをしたのか、セレーネは疑ったのかもしれません。

 

 家の探索時に、子供用のシートベルトを「自分で外した?」と自問しているシーンがありました。自分で脱出したのではないか? という疑念がセレーネにはあったのかもしれません。一方で別シーンで「車のは外れなかった」とも言っているので、自分では外せなかった、という認識もあるにはあったようです。

 ただ自分のせいで起きたという認識の事故なので、そもそも「何も思い出したくない、考えたくない」という思いが強かったのでしょう。

 つまりここでセレーネは「テイアへの恩」を抱くことができなかった、という致命的な齟齬が発生しました。

 

 これにより「もっと娘は、私のために生きるべきだ」というテイアの思いと「なぜ自分はこれほど母に苦しめられなければならないのか」というセレーネの思いのすれ違いが、強い確執を生み出すきっかけになったのではないでしょうか。

 

 こう書いていると、テイアの主張もまぁちょっとだけなら分からんでもない、という気もしてきますが、そもそも論としてテイアが日常的にセレーネを手厳しく扱っていたことが発端であり、さらに事故も運転にちゃんと集中していれば防げた可能性があると考えると、テイアに同情すべきかどうかは意見が分かれるところだと思います。

 まぁこの物語自体がすべて「セレーネ」という主人公を通して語られているので、バイアスがかかっており、描かれたテイアの姿がすべて真実だったかどうかは、誰にも分からないという懸念点はありますが……。

 

 ふと。ここまで書いて恐ろしい可能性に気づきましたが――テイアは半身不随となった自身の治療を拒んでいる様子が、シシュポスの巨塔の病院にて語られていました。これがもし「自分のケガを口実にして、娘により強い圧をかけられるから」という理由だったとしたら……?

 ……本当にそうだったらなんて、あまり考えたくないですね。邪悪が過ぎます。

 

で、ヘリオスは?

 そしてこの話。真エンディングのラストで、水の中から出たらしきセレーネが「ヘリオス」と言うシーンがありましたね。これはなんだったのでしょうか?

 

 このシーンは、水の中が羊水のことを意識しており、「堕胎したせいでヘリオスを産んであげることができなかった」という自責の念が、実際の転落事故と混ざった上で見えたシーンではないのかと考えました。

 堕胎についてはログでも語られており、また宇宙船ヘリオスから離れるときにもヘリオスから離れようとしている」と強くメッセージが出るなど、罪の意識を匂わせるシーンが多々出てきます。ヘリオス(宇宙船)が墜落するシーンを見ながら「私がヘリオスを壊した」と口走るシーンもありましたね。

 

 そういえば4面に入ったときにぼろぼろになった宇宙船を見て「ヘリオス、あなたいくつになったの?」といった感じの発言をセレーネはしていますが、あれは「もし生まれてきていたのなら、今頃何歳だったの?」という意味合いを持っているのではないでしょうか。

 あと病院で「子供が生まれたら辛かった。母さんもそうだった?」と言ってますが、これは逆説的に「もし自分が子供を産んでいたら、母さんの苦しみを理解することができたのだろうか?」という自問だと私は捉えています。

 

 話を真ENDに戻して、じゃあなんでラストのタイミングで「ヘリオス」と言ったのか?

 このことについて、2つ考えてみました。

  1.  ラスボスを倒したことですべての問題を解決したかのように思ってるかもしれないが、ヘリオスのことはなんにも片付いてないからな、という自責の念が口から出たのではないか? という考察。

  2.  ラスボスを倒したはずなのにまだこんなに自分が苦しんでいるのは、母の他に自分へ罰を与えようとする何かがいるからではないか? ならそれはきっと、ヘリオスだ。ヘリオスからの罰を自分は受けなければならないんだ――という考えにセレーネが至ったからではないか、という考察です。

 

 ただこの真ENDなんですが、そもそもヘリオスの話なんて一切出てこないんですよね。ずっと母と娘の話。なのに最後で突然言い出したのは、もしかすると「続編を出すときの繋ぎにしたかったのでは」という邪推もできてしまいますが、真相はいかに……。「湖じゃない 海だ」

 

 ところで、「ヘリオスは堕胎されずに、生まれてきた」という考察もできます。ただその場合はヘリオスへの想い」的な描写が一切なさすぎでは? という気がしました。あるとしたら「冷蔵庫にご飯があるよ」の留守電くらいでしょうか。

 また、産もうとしている素振りのログもあったのは確かですが、実際に産んだのなら明確に「育てている日常」のログが1つくらいあってもいいと思ったので、これは結局産まなかったのでは? と私は解釈しました。

 

 そしてヘリオスについて、そもそも言及したいことがあるのですが、「はたしてヘリオスは物語の主軸の要素なのか?」という話です。

 

 ここでヘリオスという存在を別角度から考察してみることにしました。

ヘリオス」が物語を複雑にしている一因なのですが、なぜそんな存在をストーリーに組み込んだのか。その理由として、制作側の思惑もあったのではないか? という考えをいだきました。その点について次に触れていきたいと思います。

 

 

ヘリオス」がいないと、プレイヤーのモチベーションが死んでしまう問題

 今節ではメタ的な考察をおこないます。ご注意ください。

 

 さて本作ですが、物語の概要は「母テイアの呪縛から逃れようと苦しむ娘セレーネ」なわけですが、もしこのことをぼかさずに、これのみについて本編で語られていたら、どうなっていたでしょうか?

 

 セレーネとしては「邪悪な母に立ち向かう」という構図が描けているわけですが、我々ゲームプレイヤーはどうでしょう? プレイヤーは直接テイアからの酷い仕打ちを何十年も受け続けたわけでもなく、本編は激しいアクションが中心なので、ノベルゲームのようにストーリーにバッチリ感情移入できているわけでもありません。

 そんな状況で4面、5面と進めていくうちに物語が「毒親テイアとの戦い! 苦しみからの解放! なおテイアはセレーネがすでに殺している」という事実が明らかになったとしたら。

 

 「よーし、セレーネのために頑張ってラスボスを倒すぞ!」

 

 という素直な気持ちになれたでしょうか? 正直、「いや殺したんだろ……」とちょっと引いてしまわないでしょうか?

 殺したという部分がなかったとしても、「毒親に立ち向かうループ!」という展開で、はたしてプレイヤーはモチベーションを保てたでしょうか

 簡単なサクサク進行ならさらっと進めるかもしれませんが、本作は高難易度の死にゲーです。苦難がすごいです。乗り越えるためには、当然やる気を出す必要があります。

 ただの親子関係だけでは物語が盛り上がらないことは制作側も重々承知しているため、1面から「謎の古代文明」「謎の古代技術」など好奇心を刺激するネタをふんだんに盛り込んでいたはずです。

 

 ですが精神世界のループという構造上、後半では物語の核心に迫る必要があります。でも毒親の話だけではプレイヤーのモチベがつらくなる。そこで登場したのがそう、ヘリオスという存在なのではないでしょうか。

 

 ヘリオスという子供が登場することで、話に一気に光明が見えてきます。

 

「子供の死という悲しみから立ち直るために、セレーネは何度もループして苦しみながらも戦っている!」

 

 この展開なら、まさに物語に活力が出てきます。プレイヤーにも頑張ろう、やってやろうという前向きな気持ちが湧いてきます。

 ここまで明示しなくても、プレイヤーはなんとなく「ヘリオス」が子供の名前で、苦しんでいるのは子供が死んだからでは? と察することができます。

 そうすると自然と「これは悲しみから立ち直るための物語なのでは?」と解釈してくれることを制作側が期待したのではないでしょうか。

 つまり物語が全体的にややこしくなっており、解釈が難しくなっているのは、制作側が意図的に難しくして煙に巻いたのではなく、「ループ構造において『ヘリオス』が存在することで話が短絡的にならず、謎も増え、さらにプレイヤーのモチベにつながるから」という事情があったからではないでしょうか?

 

 そもそも本作では『PS5のコントローラーで自身を操作している』というメタの極地のようなシーンが有りました。そういったメタ要素も織り込んでの作品なのかもしれません。

 

現実世界のセレーネは、いまどこで何をしているのか?

 いまさらですが、セレーネは宇宙飛行士ではありません。落選の手紙で確認できます。

 また時代的に、母テイアの時代は我々がよく知る現代社会とほぼ同じ水準です。それがいきなり、本編のアトラスのように宇宙技術が劇的に進化するとは思えません。なのでアトラスのスカウトでもありません。シップログでもアトラスに「在籍なし」と明示されていましたね。

 

 じゃあセレーネは、今どうしているのか?

 

 このことについて、実はすでに本記事で答えを示唆する画像が載っています。火事の画像です。

 

 ここでタバコを吸っていたのはセレーネですが、彼女に対して「観察」とあります。

 少し湾曲的な言い方ですが、騒動が起きて火事があった、その前で取り乱している人物を「観察」するということは、「犯人として疑っている」という意味と受け取っていいでしょう。テイアの死因が「外傷性脳症」であることは警察も把握しているはずです。

 

 シップログで確認できるとおり、セレーネは以前から投薬を拒絶しており、精神障害をこじらせています。そんな彼女の現状ですが、シシュポスの巨塔で描かれる病院について「ここを知ってる」「見覚えがある」と言っています。

 これは転落事故で負傷した母が入院しており、見舞いへ通っていた病院、という意味に加え、「現在入院している病院」という認識もできるかな、と感じました。

 

 ということで私の推測では、現在のセレーネは警察の監視下のもとで『入院中』で、意識はずっと精神世界に囚われている。もしすでに逮捕まで話が進んでいるなら『警察病院』に居る可能性もある、と思いました。

 

 ――なんていうか、救いがない!

 

 今後、もし奇跡的にセレーネが精神世界のループを打破して、現実世界に舞い戻ってきたとして、そこに待っているのは母殺しの罪で逮捕される運命です。情状酌量の余地はありそうですが、それでも無罪放免というわけにはいかないでしょう。

 さらに重ねてつらいことなのですが……セレーネは、まだまだ精神世界から戻ってこられそうにない、という恐れがあります。考察は最後の項目へ進みます。

 

この物語で結局、セレーネは救われたのか?

 最初に述べたように、この物語は「娘セレーネが母テイアの呪縛から解放されたことに気付く物語」です。つまりまだ、その段階なのです。

 

 シシュポスの巨塔の最後のイベントで、セレーネは最期の言葉としてこう残しています。

 でもいつぶりの安らぎ…
 ループの恐怖も 痛みもない
 私への褒美…

 

 これはすでに母テイアが死んでおり、もうその呪縛に苦しむことはなくなったんだ、とセレーネがやっと、やっと自覚を得ることができたシーンだと感じました。

 これだけ長く戦い続けて、ようやく「母の死を受け入れた」段階ということです。つまり乗り越えるべき壁はまだまだあります。

 

 幼少期から続く劣等感、不出来な自分への失望、転落事故の悔い、母の半身不随の原因を作り、さらに殺してしまったことへの罪悪感、堕胎した子供への懺悔、精神病に苦しみキャリアを失った自分への絶望感――これらの意識がまだまだセレーネへ襲いかかります

 

 セレーネがいまだにループから抜け出せないのは、これらの呪縛からまだ解き放たれていないからです。しかもこれらは何か画期的な打開策があり、解決すればすべて晴れ晴れ! ハッピー! になるような事柄でもありません。

 ただひたすらに自分と向き合い、心を整理していくしかないのです。まだまだ苦しみ、戦い続ける必要があります。ですが支離滅裂となっているセレーネの精神では、どれほどの困難を極めることになるのでしょうか。

 

 このゲームは「高難易度のループもの」です。まさにセレーネにとっても同じことが当てはまり、そのクリアには、はてしなくつらく険しい道のりが待ち受けているのではないでしょうか――。

 

 

 長くなりすぎました。まだまだ考察の余地はありそうですが、いったんここで終わりたいと思います。

 それでは。

 

Gorogoa ストーリー考察

  steamなどで発売中の「Gorogoa(ゴロゴア)」について、ストーリーの考察をしていきたいと思います。

 ネタバレの塊なのでご注意ください。

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 ゲーム本編では具体的な解説やテキストがないため、ふわっとした解釈しかできないですが、あくまで個人的に感じた考察を中心に書いていきます。

 

〇 物語の背景

 「戦争」が大きく影を落としている物語となっています。

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 これは空襲後の街並みです。

 主人公の少年は、空襲中も物置のような場所にこもり、勉学を続けていました。

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 このシーンでは何度も砲撃の音が聞こえ、その衝撃で揺れています。 

 このゲームが20世紀に起きた戦争を背景にしていることを、作者さんがインタビューや記事で語っていらっしゃるので、ご興味のある方はこちらをご覧ください。

https://kotaku.com/the-puzzle-of-a-lifetime-1821235999

https://www.avclub.com/gorogoa-wants-to-get-you-thinking-about-much-more-than-1821949817

 

 つまりこのゲームは、信仰的で宗教的なアートデザインをしている一方で、物語の肝となるのは戦争を体験した少年の人生についてです。

 この少年はおそらく2度の戦争を経験しています。詳しくは次項で。

 

〇 主人公の少年

  この物語の主人公は、知的好奇心に満ちた少年です。

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 彼は何かわからないことがあると、辞書を取り出して調べたがる子でした。

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 青年になってもそれは変わらず、彼は勉学に励んでいます。

 このシーンでは空襲に耐えられる建築設計について学んでいるようですね。

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 後半で写真が並んでいるシーンがありますが、その中の一枚がこれです。

 学校の集合写真のようですが、撮影中にもかかわらず、一人だけうつむいて本を読み漁っている子がいます。おそらくこの子が主人公でしょう。

 

 そんな彼ですが、足を悪くしている描写が何度も出てきました。

 この描写が抽象的なものではなく、実際にケガをしたものだと考えると、彼は2度負傷しています。

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 序盤の彼が少年のとき、車いすに乗ったり松葉づえが置いてあるシーンが出てきます。おそらくこれは1度目の戦争時に負傷したものです。

 そしてその後に完治したようで、青年時は問題なく歩いています。

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 ですがその後、2度目の戦争の際に負傷し、これ以降は老人になっても杖をついたままの生活を送っています。

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 こちらの写真では煙が上がっているので、空襲直後でしょう。

 松葉づえをついています。

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  そして次の写真では杖をついています。ケガの後遺症が残ったのだと思われます。

 

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  勉学に励み、胸が躍るような明るい未来が待っていると夢描いていた少年に訪れたのは、戦争という残酷で暗い未来でした。

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 その後、彼は挫折しそうにもなりましたが、それでもあきらめずに勉学を続けていきます。

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 いつの日か、すべての行いが報われるときが来ると信じて。

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『すべての果実を集め、捧げれば、Gorogoaに会うことができる』

 彼がゲーム中に集めていた果実とは、自分の人生で苦労して得てきた、実りある”何か”だったのでしょう。

 それを集めきれば、きっと報われる。彼はそう信じていました。

 

 ですがやがて、彼は気づいてしまいました。

 報われるときなど、決して来ないことを。

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Gorogoaの先に待ち受けていたもの、それは暗く深い絶望の闇でした。

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 自分が築き上げたと思っていたものが、実は空虚なもので、無価値だった。そのことに気づき、自分の中で築いていたものが一気に崩壊していく。

 そんな思いがこの落下のシーンに現れたのではないでしょうか。

 

 〇 物語の結末

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 晩年。彼は復興した街並みを見つめながら、一つずつの思い出をしっかりと思い返していきます。

 そして思い返す中で、彼は気づいたのだと思います。

 自分の過去が、決して暗いものだけではなかったのだと。

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 黒色の果実が一つずつ色を付けていくのは、彼が過去を1つずつ肯定していく様を描いたのではないでしょうか。

 無価値なものではなく、自分にとってどれもとても大切な意味あるものだったのだと。

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 彼はすべての過去を受け入れ、自分の人生が実りある鮮やかですばらしいものだったと気づくことができた。そして彼は思い出をかみしめながら、天に召されました。

 

 ラストのシーンで、画面が引き、すべてはGorogoaの瞳の中だった、という展開になりますが、おそらくこれは

「果実をそろえてもGorogoa会うことはできなかったが、実は自分は最初からGorogoaに包まれていた、ずっとそばにいる存在だった」

 という意味合いかなと感じました。

 幸せを追い求めていたが、幸せは最初から自分が持っていたんだ、という青い鳥の意味合いと似ているのかもしれません。

 

〇 Gorogoaの正体

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 Gorogoaとは、何だったのか。

 おそらく、本ゲームを象徴しているこの巨大な鳥のようなものを指すのでしょう。

 この正体を、抽象的な概念で言うのなら、幼いころに思い描いた「不安定な未来」の象徴や、あるいは知識欲を漠然と表現した、などいろいろ言えそうですが、個人的には「恐れ」の象徴ではないかと感じました。

 ゲーム中に何度かGorogoaが登場するシーンがありますが、その際は明るかった景色が一気に暗い闇に包まれます。決して慈愛に満ちたやさしい女神のような存在ではないでしょう。

 またGorogoaが初めて登場したのちに戦争が起き、空襲がありました。少年はもしかすると開戦の話を聞いたのかもしれません。

 漠然とした「恐怖」に対し、この少年は「知識」で対抗しようとした。

 彼の知識欲の原点は、そこなのかもしれません。

 本編中に、托鉢や聖地巡礼を思い起こさせるような、それでいてつらい道のりを進むシーンが何度か出てきました。

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 これは勉学に打ち込み、疲れ切りながらも進み続ける自身の生き方を表現しているのかもしれません。

 少なくとも「勉強たのしいな! わくわく!」という感じはしませんでした。

 また作中に『蛾』がたびたび出てきますが、もちろんペットとして飼っていたわけではなく、不安や恐怖と隣り合わせに生きてきたという暗喩のように感じました。

 蛾の入ったケースにひびがあり、ちょっとした衝撃でガラスが割れ、中から蛾が飛び出してくる。これらも恐怖を身近に感じていたことを表現しているのかもしれません。

 

 さらに、ここまで来るともう邪推になってきますが、写真が並ぶシーンでは、学校の集合写真の次が、もう老人の写真でした。

 つまり青年後は、多くを語るほどの人生ではなかったのかもしれません。

 

 そんな彼が、自分の人生を「ひどいものだった」と嘆きながら終わるのではなく、最後には自分の人生は、色鮮やかな果実を集めたものだったと肯定して受け入れることができたのなら。

 それはすばらしい人生だったのだと思います。

 

 

 長くなりましたが、ひとまず考察はこれにて終わり。

 また何か思いついたら追記するかもしれません。

 Gorogoaはもちろん芸術性あるパズルとしてもすばらしい作品でしたが、そのストーリーもすばらしいものだったと私は感じました。

 

 

steam おすすめゲーム 『Never Alone (Kisima Ingitchuna)』

いよいよsteamの大型セールが来ましたね。

http://store.steampowered.com/

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 とても安くなっているので、買うなら今がチャンス!

 というわけで、おすすめのゲームをいくつか紹介していきたいと思います。

 まずはこちら。

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 『Never Alone (Kisima Ingitchuna)』

store.steampowered.com

 

 イヌイット(正確にはイヌピアット)という民族をテーマにしたゲームです。

 80%オフでお値段は ¥ 296

 日本語字幕があります。

 

 どういった感じのゲームなのかは、PS4のトレイラーを見てもらえれば雰囲気が分かるかなと思います。

www.youtube.com

 

 吹雪の世界で、一人の少女と相棒の白いキツネが駆け回る、横スクロールアクションです。

 幻想的な雰囲気もすばらしいですが、なんといってもキツネがかわいい。

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 もふもふです。

 なお先に言っておくと、このゲームですが、ゲームの部分は、ぼちぼちな面白さです。

 パズル的な要素やアクション性もありますが、よくある感じの内容となっているので、「ゲームとしてめっちゃ楽しみ!」と期待していると、満足はできないかもしれません。

 そのかわりに本当に幻想的な雰囲気のゲームなので、新しい場所に進むたびに「おお……」と感嘆しながらプレイできて、私はとても楽しめました。

 

 そして今回、なぜこのゲームをおすすめするのか、というと。

 『ゲームの部分は』とさきほど書いたからには、ゲーム以外の要素があるわけです。

 それがこちら。

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 誰やねん、このおっちゃん

 という感じがしますが、実はゲームを進めていくと、実写のドキュメンタリー映像が見られるようになります。

 そう、イヌイット(この方々の民族は、正確にはイヌピアット)の方々のインタビュー映像などを見ることができます。

 これがこのゲームのメインと言っても過言ではないでしょう。

 

 教科書で誰もが見たことがある『イヌイット』。

 寒いところに住んでるんだなぁというくらいしか知らない人も多いかと思いますが、このドキュメンタリー映像では彼らについて深く知ることができます。

 この映像では、

・イヌピアットの文化

・イヌピアットの生活

・イヌピアットの思想

・イヌピアットの伝承と精霊

 

 など、数多くのことをご本人たちから聞くことできます。

 イヌピアットの人たちが極寒の地でどうやって生活をし、何を思い、何を大切だと感じ、どう生きていこうとしているのかが見えてきます。

 このゲームの主人公である少女、そして白いキツネが、イヌピアットにとってどのような伝承的な存在であるのかも分かってきます。

 ゲームの内容もイヌピアットの伝承に沿ったものとなっており、その部分を楽しむこともできます。

 

 個人的な感想としては、とても興味深かったです。

 特にイヌピアットの方々にとって精霊の存在がどういうものであるのか、このゲームを通して学ぶことができました。

 ゲームを進めながら「早く次の映像が見たい!」と思いながらプレイしていたくらいです。

  雪の中を進むという幻想的な雰囲気を味わいながら(実際は過酷な吹雪)、イヌピアットという民族について知ることができる、Never Alone (Kisima Ingitchuna)。

 個人的におすすめしたい1作でした。

 

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☆ こんな人におすすめ!

 ・幻想的な雰囲気が大好き

 ・キツネともふもふしたい

 ・イヌピアットの文化に触れてみたい

 

☆ こんな人には合わないかも

 ・アクションばりばりで、ゲームとしてがっつり楽しみたい

 ・北極海で溺死してトラウマがある人

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