steamなどで発売中の「Gorogoa(ゴロゴア)」について、ストーリーの考察をしていきたいと思います。
ネタバレの塊なのでご注意ください。
ゲーム本編では具体的な解説やテキストがないため、ふわっとした解釈しかできないですが、あくまで個人的に感じた考察を中心に書いていきます。
〇 物語の背景
「戦争」が大きく影を落としている物語となっています。
これは空襲後の街並みです。
主人公の少年は、空襲中も物置のような場所にこもり、勉学を続けていました。
このシーンでは何度も砲撃の音が聞こえ、その衝撃で揺れています。
このゲームが20世紀に起きた戦争を背景にしていることを、作者さんがインタビューや記事で語っていらっしゃるので、ご興味のある方はこちらをご覧ください。
https://kotaku.com/the-puzzle-of-a-lifetime-1821235999
https://www.avclub.com/gorogoa-wants-to-get-you-thinking-about-much-more-than-1821949817
つまりこのゲームは、信仰的で宗教的なアートデザインをしている一方で、物語の肝となるのは戦争を体験した少年の人生についてです。
この少年はおそらく2度の戦争を経験しています。詳しくは次項で。
〇 主人公の少年
この物語の主人公は、知的好奇心に満ちた少年です。
彼は何かわからないことがあると、辞書を取り出して調べたがる子でした。
青年になってもそれは変わらず、彼は勉学に励んでいます。
このシーンでは空襲に耐えられる建築設計について学んでいるようですね。
後半で写真が並んでいるシーンがありますが、その中の一枚がこれです。
学校の集合写真のようですが、撮影中にもかかわらず、一人だけうつむいて本を読み漁っている子がいます。おそらくこの子が主人公でしょう。
そんな彼ですが、足を悪くしている描写が何度も出てきました。
この描写が抽象的なものではなく、実際にケガをしたものだと考えると、彼は2度負傷しています。
序盤の彼が少年のとき、車いすに乗ったり松葉づえが置いてあるシーンが出てきます。おそらくこれは1度目の戦争時に負傷したものです。
そしてその後に完治したようで、青年時は問題なく歩いています。
ですがその後、2度目の戦争の際に負傷し、これ以降は老人になっても杖をついたままの生活を送っています。
こちらの写真では煙が上がっているので、空襲直後でしょう。
松葉づえをついています。
そして次の写真では杖をついています。ケガの後遺症が残ったのだと思われます。
勉学に励み、胸が躍るような明るい未来が待っていると夢描いていた少年に訪れたのは、戦争という残酷で暗い未来でした。
その後、彼は挫折しそうにもなりましたが、それでもあきらめずに勉学を続けていきます。
いつの日か、すべての行いが報われるときが来ると信じて。
『すべての果実を集め、捧げれば、Gorogoaに会うことができる』
彼がゲーム中に集めていた果実とは、自分の人生で苦労して得てきた、実りある”何か”だったのでしょう。
それを集めきれば、きっと報われる。彼はそう信じていました。
ですがやがて、彼は気づいてしまいました。
報われるときなど、決して来ないことを。
Gorogoaの先に待ち受けていたもの、それは暗く深い絶望の闇でした。
自分が築き上げたと思っていたものが、実は空虚なもので、無価値だった。そのことに気づき、自分の中で築いていたものが一気に崩壊していく。
そんな思いがこの落下のシーンに現れたのではないでしょうか。
〇 物語の結末
晩年。彼は復興した街並みを見つめながら、一つずつの思い出をしっかりと思い返していきます。
そして思い返す中で、彼は気づいたのだと思います。
自分の過去が、決して暗いものだけではなかったのだと。
黒色の果実が一つずつ色を付けていくのは、彼が過去を1つずつ肯定していく様を描いたのではないでしょうか。
無価値なものではなく、自分にとってどれもとても大切な意味あるものだったのだと。
彼はすべての過去を受け入れ、自分の人生が実りある鮮やかですばらしいものだったと気づくことができた。そして彼は思い出をかみしめながら、天に召されました。
ラストのシーンで、画面が引き、すべてはGorogoaの瞳の中だった、という展開になりますが、おそらくこれは
「果実をそろえてもGorogoaに会うことはできなかったが、実は自分は最初からGorogoaに包まれていた、ずっとそばにいる存在だった」
という意味合いかなと感じました。
幸せを追い求めていたが、幸せは最初から自分が持っていたんだ、という青い鳥の意味合いと似ているのかもしれません。
〇 Gorogoaの正体
Gorogoaとは、何だったのか。
おそらく、本ゲームを象徴しているこの巨大な鳥のようなものを指すのでしょう。
この正体を、抽象的な概念で言うのなら、幼いころに思い描いた「不安定な未来」の象徴や、あるいは知識欲を漠然と表現した、などいろいろ言えそうですが、個人的には「恐れ」の象徴ではないかと感じました。
ゲーム中に何度かGorogoaが登場するシーンがありますが、その際は明るかった景色が一気に暗い闇に包まれます。決して慈愛に満ちたやさしい女神のような存在ではないでしょう。
またGorogoaが初めて登場したのちに戦争が起き、空襲がありました。少年はもしかすると開戦の話を聞いたのかもしれません。
漠然とした「恐怖」に対し、この少年は「知識」で対抗しようとした。
彼の知識欲の原点は、そこなのかもしれません。
本編中に、托鉢や聖地巡礼を思い起こさせるような、それでいてつらい道のりを進むシーンが何度か出てきました。
これは勉学に打ち込み、疲れ切りながらも進み続ける自身の生き方を表現しているのかもしれません。
少なくとも「勉強たのしいな! わくわく!」という感じはしませんでした。
また作中に『蛾』がたびたび出てきますが、もちろんペットとして飼っていたわけではなく、不安や恐怖と隣り合わせに生きてきたという暗喩のように感じました。
蛾の入ったケースにひびがあり、ちょっとした衝撃でガラスが割れ、中から蛾が飛び出してくる。これらも恐怖を身近に感じていたことを表現しているのかもしれません。
さらに、ここまで来るともう邪推になってきますが、写真が並ぶシーンでは、学校の集合写真の次が、もう老人の写真でした。
つまり青年後は、多くを語るほどの人生ではなかったのかもしれません。
そんな彼が、自分の人生を「ひどいものだった」と嘆きながら終わるのではなく、最後には自分の人生は、色鮮やかな果実を集めたものだったと肯定して受け入れることができたのなら。
それはすばらしい人生だったのだと思います。
長くなりましたが、ひとまず考察はこれにて終わり。
また何か思いついたら追記するかもしれません。
Gorogoaはもちろん芸術性あるパズルとしてもすばらしい作品でしたが、そのストーリーもすばらしいものだったと私は感じました。